知覚は投影 2
例え鏡に映ったものが意に沿わないとしても、
反射している映像について論じても意味がない。。。
私は結構現実的なタイプの人間で、
事実とそうでない事の境目を結構きっちり認識していると思っている。
今、私が経験している出来事は、私にしか見えない、私のストーリーがついた世界で
この出来事をあなたが経験すると、全く違うストーリーになることもある。
としたら
自分が真実だと認識している出来事って本当はどこに存在しているのだろう?
もし人は自分の見たいように世界を見ているということに気づいたら
知覚は投影の持つ意味がもっとわかりやすい。
知覚とは、五感を通じて、外界の事物を見分け、とらえる働きで
感じ取った外からの刺激に意味づけをするまでの過程。
投影とは自分の心の状態や思考を外の世界に映し出す(表現させる)ことで
例えば、自分が認識しているかどうかを別にしても
自分の中にある受け入れたくない不都合な感情や衝動を
他人のものだと思い込んだり、決めつけたり、ストーリーをつけたりする事で
自分のあり方と切り離す事も含む。
これは
他者に感じる一方的な嫌悪感が
(例えば、私はお母さんみたいにはなりたくない。。。と思っている部分が)
自分の一部分に対する嫌悪であったり、(実際よく似ている)
と言う事だったり
同じ海を見て落ち着くと思う人と
子供の時の良い思い出を思い出す人
溺れた経験から自分の無力感を感じる人
怖いと感じる人
それぞれの捉え方が違うという事実からも投影について説明が出来る。
だから、
自分の見え方から人を判断せず、
人それぞれのあり方と道のりを尊重して
必要とされた時に差し伸べられる度量と方法を持っていたい。
反射されたものに惑わされず、本質を見るには
今何に気付く必要がありますか?
反射されたものの本質が見えた時
どのくらい違ったストーリが始まりますか?
セッジマン アイリ
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